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昨今では日本でも様々なオステオパシーが学べるようになりましたが、クラシカルオステオパシーの大きな特徴、他のスタイルとの違いというのはなんなのでしょうか。 西部開拓時代の1800年代の半ば、髄膜炎によって3人の子どもを亡くされたアメリカのATスティル博士がそれまで学んでいた西洋医学を捨て、オステオパシーを作り上げたというのは日本の先生方もご存じの話かと思います。 そのスティルが開発したオステオパシーは1800年後半から1900年の初頭、まるで「野火が拡がるように」全米に拡がりました。当時の西洋医学のレベルはお世辞にも高いとはいえませんし、抗生物質のような魔法の薬もありませんでしたので、オステオパシーが拡がるのも当たり前だったのかもしれません。 さらには1900年の初めに大流行したスペイン風邪に対するオステオパシーの治療効果の高さが認知されたことにより、全米あちこちに多くのオステオパシー病院が設立されていったそうです。 そのスティルの所で治療を受けたのがイギリスから渡ってきたJMリトルジョンでした。 リトルジョンは確か喉の結核か何かの病気でイギリスでは治らない、と全ての医師に宣告され、もっと乾燥したところに行け、ということでアメリカに来たそうです。 リトルジョンというのはもーの凄い頭の良い人で、ありとあらゆる学業に精通し沢山の博士号を取得しておりました。 コロンビア大学で学んでいたということですので、多分ニューヨークにいる時にスティルの噂を聞いたのでしょう、そこから随分離れたミズーリ州のカークスビルに行って治療を受けました。すると、どの医師にも治らない、死ぬだけだ、といわれた病気が治ってしまったそうです。そこでリトルジョンはびっくりしたのでしょう、オステオパシーを学ぶことになりました(ちなみにその病気は死ぬまで再発しなかったそうです)。 法医学を修めていたから生理学も修めていたものと思われますが、スティルの設立したオステオパシー大学で生理学を教えながらオステオパシーを学び、やがてD.Oになってからはその大学の長となり、臨床に研究にいそしんでいたようです。 やがてカークスビルの大学を離れたリトルジョンはシカゴに自身のオステオパシー大学病院を設立し、臨床、研究、教育、論文作成に多忙な日々を過ごしました。ここまで聞くと臨床家というより研究者のようですが、調べてみますとオステオパシーだけで様々な疾患に悩むかなりの数の患者さんをシカゴで治療していたそうです。実際に癌に対してのオステオパシー治療の臨床報告だけで約80例の報告がリトルジョンよりなされています。 やがてイギリスに帰国したリトルジョンはBSO(ブリティッシュスクールオブオステオパシー)を設立し、イギリス国内でも臨床、研究、教育に没頭し1947年に亡くなったそうです。
by kaiondo102
| 2017-10-31 14:53
| オステオパシー
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