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その昔よく考えていたのは、科学的な治療法を学びたい、身につけたい、それで施術したい、ということでした。勿論「科学」ということを定義するのは難しいですが、一応、良く言われる所の第三者によって検証可能であったり、医学的にいえば二重盲験の検証に耐えられる客観性を持つものであったり、あるいは普通の人がイメージするところの「事実あるいは真実」であるということにします。
経絡指圧を創始した増永静人先生の著書の中には、漢方医学の大家が4~5人で一人の患者を診断したことがあったそうです。その大家は皆一流の腕を持つとのことでした。そうなると診断の結果は同じである、と予想されたのに関わらず全員その診断はバラバラであったそうです。その結果を受けて、漢方医学は科学的でない、と大きく批判されたそうです。 また、確かアメリカのどっかのオステオパシー大学でも同じ実験が行われたそうです。頭蓋骨の膨張、収縮のリズムといわれるCRIというものを検証すべく、一人のモデルを対象に何人かでそのCRIというものを測定したそうです。そうしましたら、全員バラバラのCRIの測定結果が出たそうです。そのため、その実験を主導したオステオパシー大学の教授は、頭蓋オステオパシーは科学的でないため、大学のオステオパシーカリキュラムからはずすべき、ということを提言されたそうです。 身近なところでは、均整の講習会でもモデルの体型が何型か講師によってバラバラであったこともありますし、学校時代の均整の先生は科学的でありたいがために、ノイロメーターを施術で使っている、とおっしゃっていました。 私は一時、科学的であるということにコダワリもっていたことがあります。特にオステオパシーの本を読むと「ただの経験的な整体とは違って解剖学と生理学に基づいて科学的である」なんて書いてあったので、非常にあこがれたものです。また、長野式は長野先生がさすがに東洋医学と西洋医学の結合を目指しただけあって、非常に分り易く生理学や解剖学をもとにして経穴や各処置の説明がなされていて、なんて素晴らしいのだ、と思ったこともあります。そして何と言っても圧痛といった第三者にも分り易い「客観的」と考える指標を使うことにも惚れこみました。 しかし、15年もこの稼業をやっておりますと、私のやっているような施術は科学的になりえるのか疑問に思います。最近では第三者が再検証可能でなくてもよいですし、客観的でなくても全然問題ないのでは、と思うのです。 そもそも客観的であり検証可能であるということは、人それぞれ同じ感受性をもつことが前提となります。しかしまったく同じ感受性をもつことなんて可能なのでしょうか。あばたもえくぼなんていいますが、一人の異性を見ても「美しい、そうでない」の判断は人によって大きくことなります。また江戸時代の美人図が我々には?ということから時代あるいは年齢、出身によっても美醜の概念は異なります。異性という単純な対象を見ても人それぞれですから、はたして脈や頭蓋骨の動きの僅かな差を皆同じように拾えるのでしょうか?もしCRIが客観性に欠けるのなら、では一人の背骨の変位をみな同じように右側屈左回旋なんて同じように診断できるのでしょうか?また一人目に手を当てた時と5人目に手を当てた時には、その実験の環境やモデルの性格から、実験中にモデルの精神的緊張度が増したり、あるいはリラックス度が増して、脈やCRIが変化することも十分考えられないでしょうか。 東洋医学やオステオパシーにおいて、診断や施術にそういった誰がやっても同じ診断をし、同じように施術が出来て、同じような結果を出せるといった、私が以前求めていた「科学性」なんて必要ないのかもしれませんし、出来ないのかもしれません。 最近思うのは「科学性」よりもっと大事なのは、術者が変化を感じることではないでしょうか。施術前に肝虚と感じたものが、施術後にはとれていると感じること、CRIが1分間に30回だったのが7回になっていると感じること、均整でいる捻じれ型が平衡型に近づいたと見て感じること、といった変化を術者が体感出来ることの方が大事な気がします。つまり術者が感じる範疇の中で、施術前と施術後、初診と3カ月後に変化を確実に感じるだけで十分である気がするのです。 ではなぜ私が科学性をもとめていたのでしょうか?やはりそれは一重に自分自身への頼りなさ、自信のなさでありました。自分の手や知識、技術、そして感性にまったく自信がもてなかったからでありました。患者さんのことなど何も診ることができず、自分の施術がどんな変化を作り出しているのかも感じることが出来ませんでした。当然、効果があがっているかどうかもまったく分らない、いわば五里霧中であえいでいた時に客観的で検証可能である「科学的」な治療法を渇望いていた気がします。 我々の施術というものは患者さんを勿論傷つけない中で、もっと自由に自分の感覚と感性の中で泳いでもよいのかもしれません。私は特にそれを最近「妄想」と呼んでいるのですが、その妄想も患者さんが確実に使えるか使えないか教えてくれます。使えなければまた違う妄想をすれば良いだけです。 そんなこんなを考えたゴールデンウィークの半ばでした。
by kaiondo102
| 2014-05-02 01:33
| 臨床雑記
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Comments(2)
Commented
by
tomo
at 2014-05-02 09:38
x
術者の能力の違いがある以上、再現性に欠けるという意味で治療は科学的ではないですよね。一回一回が一期一会的なものになる限り、比べようなき成果ですね。どのような手段だとしても結果がすべての証明かもしれませんね。
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Commented
by
kaiondo102 at 2014-05-03 00:17
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